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2019-10

裏日記8日目

 セルフォリーフにやってきてから、何処からともなく聞こえてくる誰かの声。
 その声はとても小さく、意識を声に傾けても聞き取れない程度のものだった。
 その幻聴は私だけのようで、尋ねてみても深雪はもちろんファーヴニールにも聞こえないようだった。
 意識しなければ日常の喧騒に掻き消されてしまうので、そのうち気にもならなくなっていた。


『……ノウァ。』

 皆が寝静まったテントの中、はっきりと私を呼ぶ声を耳にした。
 その声は自分の良く知っている人物であり、この世界では既に亡くなったはずのものの声だった。
 私は毛布から上半身だけ起こして、声の主人を確かめようと辺りを見回した。
 隣で黒いうさぎの縫いぐるみのFPを抱きまくら代わりに寝る深雪は、全く起きる気配はなかった。
 テーセウスと同じ眷属になってから、気配を察知する能力はフィーの頃よりも鋭くなったのだが、よく知るものの気配しか周囲には感じなれなかった。

「……誰か居るの?」

 寝ている深雪を起こさないように、小さな声であたりに呟いてみる。

『あら、やっと聞こえたかしら?』

 再び聞こえた声の元を辿ると、それは驚くことに耳から聞こえるものではなく、意識に直接響いていることに気づいた。

『器用ね。心に直接話し掛けてるってこと?』

 声の主に応えるように、今度は声に出さずに心の中で呟いてみる。

『理解が早いと説明が省けて助かるわ。やっぱり、あなたになら私の呼びかけは聞こえるのね。試してみて良かったわ。』

『確かにあなたの声は聞こえるけれど。それは、あり得ない話ね。私の知ってるその声の主はとっくに死んでいるわ。幽霊だって言っても無駄よ。この世界にいる筈がないのだから。』

『私を偽物だと言いたいのね。その答えは半分正解で、半分間違い。此処は私の進むべき筈だった未来の一つ。私はパラレル(並列世界)からやってきたフィー。この世界のフィーは、死んでしまったのね。あなたが其処に居る事が証拠だわ。』

 それは間違いなく、フィーと名乗っていたオリフィエル・ニフルハイムの声。
 フィーとして生きていた時の私の声だった。

『……あなたは私の何処まで知っているの?そもそも、どうしてこんな回りくどい接触を試みたの?用事があるなら、私に直接会えばいいじゃない。』

 まだ声だけでは、相手が本当にパラレルからきたフィーなのかは信用できない。
 回りくどい質問をしなければいけないことに歯がゆさを感じつつも、相手の情報の棚を開ける事を優先することにした。

『そうね……質問を1つずつ返していきましょうか。この世界の出来事が何処まで、私の世界と同じなのかは把握していないけれど。私が死んだら、あなたになることはとある男から聞いたわ。オリフィと戦った後に、この世界に飛ばされてきたから、その先のことは知らないけど。』

『とある男って、何よ。先ずそこから曖昧な時点で、信用しようがないわ。』

『ごめんなさい、私もその男の素性は知らない。その男が、私の仮初の身体が長く持たない事や、私が死ぬと魂がテーセウスのものになるって教えてくれたの。あなたの名前までは分からなかったけど、元は同じ私だから、出会ってすぐに気づいたわ。』

……お前、テーセウスさんに「さん」付しろよ。引っ叩くぞ。

『あ、ごめんなさい。テーセウスさん、って次から言うようにするから、そんなに怒らないで。』

『ええ、そうして。少し感情を込めるとそのまま言葉に反映されるのね……私も熱くならないように気をつけるわ。』

 ふと、自分が今どんな表情になっているのか気になって、眠っている深雪の方を確認する。
 深雪はより一層FPを絞めつけいるだけで、歯ぎしりをしながら熟睡しているようだった。

『心の中の会話も便利なようで不便ね。でも、嘘はつき辛いから、その分信用はして貰えると助かるわ。』

『それじゃ、さっきの話に戻るけど……あなたは自分自身のことを自分で調べもしなかったって事?結果的に確かにテーセウスさんに助けられたけど、自分の死後の事なんて私は誰にも教わらなかったわ。』

『調べはしたけど、確信を持てる情報がなかったのよ。その後、ちゃんと両親に会って真実を突き止めたわ。そして私が教えてもらったのは、その男が渡した宝石を身につけておけば、テーセウスさんに魂を奪われずに……じゃなくて、宝石の中に留まることができるって。』

『少し違うようだけど、リリの作った人形のようなものね。その話だと、あなたに特にメリットはなかったんじゃない?今の私は何の不自由も感じていないし、仮にその宝石に留まったとしても、あなたが元の体に戻れるわけでもないのでしょう?』

『リリの人形?詳しくは知らないけど、その男は、私とオリフィの魂を賭け事の対象にしていたようだわ。用事が済んだら、新しい身体を用意してくれるって。私にメリットは殆ど無かったけど、一縷の望みに賭けたい心境だったの。』

『一縷の望み……ね。私には不思議なことに、見当が全くつかないわ。オリフィと争ったのなら、魂の融合の提案はあった筈。なぜあなたはその話に乗らなかったの?死にたくなかったのでしょう?』

『確かにオリフィから、その話は出たわ。でも……彼女と融合することで、自分の心が喪われる恐怖のほうが強かった。秘めた想いも、彼女に消されてしまいそうで。』

『……それって、セツカさんの事?』

『え?あ、ううん。そう、ソレも確かにあるわね。あなたからその名前が出てくるとは思わなくて、びっくりした。』

『……形見がわりにあなたの渡したペンダントを身に付けて、あまつさえ飼っている猫にフィーって名付けているぐらいだもの。流石に何かあるとは思うでしょ?』

『そうね、確かにそう言われれば。今の話しで分かったかもしれないけど、私はそのペンダントの中にいるわ。あの男との約束は、こちらの世界に飛ばされてしまって果たされないままだけど。』

『なるほど……あの髪留めの紐がヒスカにあげたものと同じなのは、納得がいった気がしたわ。魂の波長が同じだから、私はあなたの声をペンダントから聞くことができたのね。』

『ええ、そう。二つ目の質問にも答えたことになるわね。ずっと呼びかけていたけど、私の方も試行錯誤していたから、今の今まで掛かってしまったけど。』

『……で?』

『えっ?』

 私の質問にオウム返しのように答えるフィー。 

『だから、それで?私と話をして、あなたの状況が好転すると思ったの?パラレルから来た私でも、オリフィに手を出すのなら容赦しないわ。』

『え、その考えはなかったわ。新しい身体を見つけることに協力を頼もうとは思っていたけど。私の声が聞こえる人があなたしか居ないから、あなたと話をしないと始まらないって思って。』

『そう……話が出来たついでに、フィーに言っておくわ。自分の未来に道がないことを知っていながら、セツカさんに心を許したのはあなたの罪。あなたがつけた心の傷は、今でも癒えないまま残っている。』

『……結果的にはそうなるわね。彼には申し訳ないことをしたと後悔してる。それでも、あの時は彼に縋ってしまった。同じ私なのに、この気持は理解してもらえないのかしら。』

『理解出来ないわね、私はもう人ではないから。』

『……分かったわ。それなら、あなたと取引をしましょう。それならば、私の頼みも聞いて貰えるでしょう?』

『取引?宝石閉じ込められたあなたが、私に何を与えてくれるというの?ここはもしかして、笑うところなのかしら?』

『まじめに聞いて貰える?ペンダントの中に閉じ込められていた時も、私の意識はわずかにあったの。』

 何も答えない私にフィーはそのまま返事と受け取ったのか、話を続けた。

『お陰で、あなたが生前に大切にしていた友達の事も知ってるわ。ヒスカも王妃になってだいぶ大人っぽくなったけれど、まだ心は少女の頃のように純粋なままよ。』
 
 ヒスカと別れてから、ジェイド王国ではかなりの歳月が経っていることを王宮騎士のセツカさんや錬金術師のサクラさんから聞いている。
 今は王妃となって、しっかりバレットさんを支えていたりしてると勝手に思っていたのだが、実際はそうではないらしい。

『ヒスカはフィーが生きているって信じてる。貴方はずっと嘘を突き通すつもりなの?』

『……事実をヒスカに告げるって脅すつもり?その前に私があなたを壊せば済む話じゃない。取引にも何にもならないわ。』

『違うわ。あなたの嘘に乗ってあげようって言ってるの。この世界のフィーの振りを私がすればいいのでしょう?そうすれば、あなたの嘘は真実になる。』

『……私にあなたの代わりの身体を探す手伝いをしろと?』

『ええ。もし叶えてくれるなら、私は元の世界に帰る必要はないし、セツカはジェイド王国で騎士をやっているのだから、私はヒスカの事をあなたの代わりに護ると誓うわ。』

『なるほど。それなら私にもメリットは無くはない……か。いいわ、話には乗ってあげる。但し、あなたの願いが叶わなくても私にはデメリットは無いって事を弁えておいて。』

『分かったわ。ありがとう、ノウァ……なんだかんだ言って優しいのね。深雪さんの事を見ているとよく分かるわ。』

『それって自画自賛?気持ち悪いからやめてもらえる?話はついたし、そろそろ寝るわ。』

 私は一方的に話を切ると、そのまま深い眠りに落ちようと目を瞑った。
 ニールの件も深雪の件も片付いていないのに、パラレルの自分にまで頼みごとをされるとは思っていなかった。
 私自身の旅の目的は無いのに、やらなければいけないことが増えてきた気がする。

「……一つずつ片付けていくしかないわね。」

 私は深雪の頭を撫でて髪の触り心地を楽しんだあと、再び眠りにつくことにした。

表日記5日目

 人払いの結界のかかった白きの庭と呼ばれる屋敷は、人ならざるものが住む。
 
 庭に咲き乱れる鮮やかな薔薇は、屋敷の外に持ち出さない限り決して枯れることがない。
 とはいえ、枯れないのだから剪定は勿論不可欠で、以前はヘルメスという名の女性(?)が日々手入れをおこなっていたのだが、いつの間にか姿を消してしまった。
 ノウァがテーセウスから聞いた話では、館に出入りする者は入れ替わりが激しいので誰も気にとめないらしい。
 庭園の手入れはテーセウスの趣味のようで、楽しそうに薔薇を愛でる彼の姿をノウァは幾度かみかけたことがあった。
 手入れの行き届いた庭園の散歩は、見る者の目を楽しませてくれる。

 ノウァの屋敷での主な仕事は、料理や洗濯、部屋の掃除であるが、テーセウスの厚意により自由にお暇を取ることができた。
 暇をいただいた時には、好きな本を読んだりピアノを弾いたりして一日過ごした。
それでも時間が余る時には、薔薇の庭園の散歩をしたり、庭先で遊ぶ双子の女の子の悪魔であるドルチェとアマービレの遊び相手になったりした。

「ノウァも一緒にやりましょうよ。バラバラ死体ごっこ♪」
 
 双子の少女の遊びは、ろくでもない悪戯かろくでもない遊びかのどちらかだが、今日は後者の方らしい。
 金髪碧眼の見た目はとても可憐な少女達は、笑顔でお互いの首を鋸で斬りっこして愉しんでいた。
 蜥蜴の再生能力を持つお陰か、この悪魔の双子は異常なほどに生命力が高い。
 ノウァはテーセウスの描いた油絵の身体に生まれ変わってから、普通の人間でいう致命傷という程の傷を負った事はない。
 自分が何処まで傷つけば致命傷なのか知りたくはあったが、わざわざ痛い思いをしてまで試す気もなかった。
 目の前でアマービレが引く鋸で、首を切られて頭が落ちてもケタケタと笑うドルチェを見下ろしながら、ノウァは無茶しやがってと心の中で呟いていた。

「遠慮いたします……ドルチェ様、アマービレ様。服が汚れたら、またオリフィエル様に叱られますよ。」

 ノウァは足元にコロコロと転がった首を拾うと、胴体だけのドルチェの首の上に押し込んだ。

「死ぬわけじゃないものいいじゃない!人間のやることは面白いから、真似したくなるものなのよ!」

 鋸を振り回しながら、アマービレがノウァに叫んだ。 

「ノウァも悪魔なんだから、ちょっとぐらい無茶しなさいよ!ヤクザの詫び入れごっこぐらいなら平気なはずよ!私達が優しく介錯するわ!」

 まだ首がすわらない赤ん坊のように、頭をフラフラさせながらドルチェはノウァに抗議した。

「お断りいたします。テーセウスさんから頂いた大事な体ですから、無闇に傷つける訳には参りません。」

 爽やかな笑顔で受け流すノウァに、双子たちは不満そうに口を尖らせた。

「臭うわ!リア充臭がプンプンするわ!オリフィエル臭がするわ!」

「テーセウスおじさまもオルドローズおじさまのように、好き勝手に下僕を増やして消えてしまうといいのだわ!」

 金髪の双子が絶叫すると、ノウァは急に険しい表情になり二人の方へと歩み寄った。

「……そのお話、詳しく聞かせていただけませんか?」

「あら、そのお話って何の事かしら?何にも知らないわよ。知っていたとしても教える訳にはいかないわ。」

「そうよ、私達は口が固いのよ!お口にチャックが付いてるのだわ!」

 妙に自信のある表情で、双子は腰に手を当てながらノウァに勝ち誇った。
 興味のある話ではあるが、弟のテーセウスと兄のオルドローズは犬猿の仲という事を、彼の妻であるオリフィエルから聞いている。
 オルドローズの事をテーセウスに尋ねて機嫌を損ねてしまうよりは、双子から話を聞いたほうが手っ取り早いとノウァは判断した。

「……晩ご飯にはデザートにプリンを付けましょう。」

「OK。取引に応じてあげるわ!」

 爛々と瞳が輝き、蜥蜴の尻尾をピコピコさせながら、双子達は親指を立てた。
 ドルチェとアマービレの話では、ノウァのような僕を無計画に作って、好き放題遊び歩いていたオルドローズは、魔力が尽きて消えてしまったという。

「なるほど、私も此処に居るだけでテーセウスさんの魔力をいただいているという事ですね。」

 テーセウスは人の不幸を糧とする。
 人間のオリフィエルと一緒に過ごしている間は、テーセウスの悪魔としての食事を摂る事はしないだろう。
 自分がただ此処で暮らしているだけでは、テーセウスへの負担を増やすばかりになる。
 ノウァは額に手を当て考え込んだ後、何か思い付いたように目を見開いた。 

「ちょっと用事ができたので、先に屋敷に戻ります。ドルチェ様、アマービレ様。ちゃんと遊び終わったら、お片づけは忘れないで下さいね。」

「う゛……言われるまでもないわ!プリン忘れないでね!嘘ついたら、針入りのおはぎ食わせるわよ!」

 金髪の双子は屋敷に戻るノウァを、手に持った血塗られた鋸を振りながら見送った。

 
 屋敷に戻ったノウァは、身の回りのものをトランクに詰めこんで出かける準備を整えた後、テーセウスの部屋へと出向いて扉をノックした。

「どうしたんですか、ノウァ。何処かへお泊りですか?」

「テーセウスさん……私暫く旅に出ようと思います。」

 突然の申し出に目を丸くしたテーセウスは、ノウァ肩に静かに手を置いた。

「屋敷で何か困ったことがあったら、わたくしに相談してください。旅に出るのはそれからでも遅くはない。」

 テーセウスの言葉に、ノウァは視線を落としたが何かを決意したように、真剣な眼差しでテーセウスのターコイズの瞳を見つめた。

「此処にいると、テーセウスさんがいつまで経っても子離れできないと思いまして。」

「……それは……そうですか。」

 テーセウスは肩を落として溜息をつくと、ノウァの肩に置いていた手をそっと離した。

「それでも、なにか困ったことがあったら、此処に戻ってきてください。ココは貴女の棲家なのですから。」

「はい、ありがとうございます。今日はオリフィエル様や、ドルチェ様、アマービレ様達と一緒にお食事をして、明日の朝ここを発ちたいと思います。」

 ノウァの言葉に、テーセウスは気を取り直して口元を緩めて頷いた。
 翌日、ノウァは朝靄の立ち込める早朝に、白きの庭のお屋敷を出た。

「親離れできないのは私の方です……行ってきます、テーセウスさん。」

 誰もいない門の前でノウァは一礼すると、朝靄の中へと消えていった。

裏日記3日目

 ―とある少女の記憶

 そこはお父様とお母様と私しか居ない世界だった。
 お部屋には絵本はいっぱいあったけど、絵本の中に出てくるような動物も人もここには誰も居なかった。
 お父様とお母様からは、むやみに家から出てはいけないと言われていたけど、家の外に何があるのか、どんな景色が広がっているのか興味はつきなかった。
 知らない人に会いたいという好奇心が抑えられずに、私はお母様やお父様に見つからないよう、こっそりと家を抜けだして探索に出かけた。
 探索の終わりはあっという間で、少し歩くと何処へ行っても白い壁に行く手を遮られた。
 白い壁は触れると金属のように固く冷たくて、ずっと触っていると何かが奪われるような錯覚がして近寄るのが怖くなった。

「お母様。お外の壁の向こうには何があるの?」

 私の質問に、お母様は首を横に振り「なにもないわ。」答えるだけだった。

 何処へ行っても白い壁に阻まれる憂鬱さで、探索にも飽きてきたある日。
 私は白い壁に、見たことのない黒い模様がついている場所を見つけた。
 それはよく見ると模様ではなくて、壁に入った亀裂だと触れて初めて気づいた。
 亀裂の中を覗き込もうと近づくと、突然亀裂の向こうから低い声がしたので私は尻餅をついてしまった。

「何……誰かいるの?」

 私は尻餅をついた服の埃を払うと、声のした方に警戒をしつつ尋ねた。

「あぁ、僕の声が聞こえるんだね。怖がらないで……僕は君とお友達になりたいんだ。」

「……お友達?」

 魅惑的な言葉に思わず身を乗り出した私は、壁の方へと近寄った。

「そう……お友達になりたいんだ、オリフィエル。僕のことはそうだな……ナナシとでも呼んでおくれよ。」

「ナナシ?どうして、あなたは私の名前を知ってるの?」

「ああ……そんな事はどうでもいいじゃないか。オリフィエルはお友達が欲しいんだよね。僕もお友達が欲しかったんだ。仲良くしよう、オリフィエル。」

 ナナシと名乗った壁の向こうの声は、親しげに私に語りかけてきた。

「ナナシ……ナナシは壁の向こうにいるの?そっちには動物さんや、妖精さんもいる?」

「ああ……いるよ。動物もいるし、妖精もいる。美味しい食べ物だっていっぱいある。こっちの世界が気になるかい?」

「うん、私の家にはお父様とお母様しか居ないの。いいなぁ……ナナシの世界のお話をもっと教えて?」

 それから私は、ナナシと話をするために家を抜けだしては亀裂のある壁の前にやってきた。
 ナナシの住む世界の話は、まるで絵本で読んだような世界と同じく動物や妖精がいて、人もたくさんいると聞いた。
 私は次第に壁の向こうの世界に思いを馳せるようになり、ナナシの住む世界へと行ってみたくなった。

「ねぇ、ナナシの世界に連れて行って。」

「ああ、もちろん大歓迎さ、オリフィエル。でもね……その為にはこの壁が邪魔なんだ。オリフィエルが手を貸してくれたら、通れるようになるよ。」
 
「私が……何をすればいいの?」

「そんなに難しいことじゃない。毎日この壁に触ってくれるだけでいいんだ。ちょっと疲れちゃうかもしれないけど、疲れたら休んで次の日に触ってくれたら大丈夫。」

 私はナナシの言うとおり、毎日家を抜けだして壁の亀裂に触れるようになった。
 初めの数日は何の変化もなかったが、暫く続けると壁の亀裂が少しずつ大きくなっていくのが分かった。
 壁に触れると何かが奪われるように疲れるので、それほど長い時間は壁に触れることはできなかったが、繰り返すことで確実に亀裂が広がる事が私の楽しみになった。

「もうちょっとだ、オリフィエル。君の手が通る大きさになれば、こっちの世界に来ることができるよ。」

 ナナシの声は相変わらず低い声だったが、どことなく嬉しそうに聞こえた。
 それから数日経つと、壁の亀裂は私の手が通れるぐらいの大きさになっていた。

「よく頑張ったね、オリフィエル……僕の手は大きくて通らないけど、オリフィエルの手なら通れるんじゃないかな。さぁ、こっちに手を伸ばしてごらん?」

 私はナナシの言葉通りに壁の黒い亀裂に手を差し込んだ。
もうすぐナナシのいる世界にいけるかと思うと、嬉しさと緊張で胸がいっぱいになった。

「……捕まえた。」

 壁の向こうの大きな手のようなものに掴まれた私は、驚いて手を引っ込めようとしたが手が潰れるぐらいに握り締められて逃れることができなかった。

「ナナシ!痛いよ……離してっ!」

「ふふ、離すものか。ようやく手に入った生身を逃したりしないよ。」

 壁の亀裂越しに黒い霧のようなものが私の手に纏わり付くと、肌の色がみるみる青褪めて行くのが分かった。

「やめてっ!お友達になりたいって嘘だったの!?ナナシの嘘つきっ!」

 私の腕を伝って黒い霧は体の方にまで纏わりついてくると、それは人のような赤い目を持つ顔になっていった。
 黒い霧の顔は私の耳元で楽しそうに囁いた。

「いや、嘘じゃない。友達になって欲しいって取引をしたんだ……代わりにオリフィエルの身体を貰うって条件でね。」

「してない!私、そんな約束してないよ!?」

 必死に振り払おうとしても、黒い霧は身体に纏わりついて私の自由を拘束した。

「ああ、オリフィエルと約束したんじゃない。僕が取引したのはアンネリーゼだからね。」

「嘘っ!お母様がそんな事しない!そんな事っ……」

「ははは、どうせ僕のものになるんだから、どっちでもいいじゃないか。そろそろ黙れよ……」

 黒い霧は私の呼吸に合わせて口の中にまで入り込み、私は声を出すことも息をすることもできなくなった。
 助けを求めるように私はもう片方の手で何かを掴もうと腕を伸ばすが、その手はただ空を切るばかりだった。

 意識が遠のいて視界が真っ暗になり始めたころ、意識を呼び覚ますように温かくて力強い手が私の手を握り返してくれていた。

「オリフィエル!大丈夫か!」

ヴォルフラムお父様が、黒い霧を振り払うように手を掴んで私の身体を胸元へと抱き寄せた。

「お父様っ……お父様―っ!」

 私は安堵感から、お父様にしがみついて咽び泣いた。

「勝手に外に出ては駄目だといったじゃないか……大丈夫だ。お父さんが守ってやる。」

 黒い霧はまた人の形をとって私の方へと向かってきたが、お父様は私を抱きしめたまま何かを口ずさんだ。

「返せっ!オリフィエルは僕のものだ!ああ、ぐぁうあああああ!?」

 お父様が口ずさむ歌のせいか、人の形をした黒い霧はボロボロと崩れ落ちていった。

「レクイエムさ……低俗霊如きには勿体無いが、釣りは要らない。消えてくれ。」

「うぁああああ!?消えたくないぃぃいい!?助けて、オリフィエル!」

 人型の霧は絶叫をあげながら溶けるように消えていった。
 私の腕を掴んでいた黒い霧も消え去ったが、ナナシに強く握られた跡は鬱血してくっきりと紫色になっていた。

「痛むかい?時間が経てば元に戻るから、心配しなくていい。さぁ、家に帰ろう。」

それからお父様は、私を背負うと家に向かって歩き始めた。

「オリフィエル、結界……白い壁の向こうは死者の国なんだ。絶対に行ってはいけないよ。」

「お父様……ごめんなさい。あのね、お父様……さっきのナナシがね。」

「ん、なんだい?」

「お母様と取引して、私を貰う約束だったって言ったんだよ。」

私の言葉にお父様は立ち止まると、振り返って私に微笑んだ。

「……オリフィエル。嘘つきの言葉を信じてはいけないよ。アンネリーゼがそんな事をする訳がないだろ。」

「……はい、ごめんなさい……お父様。」

『でもね、ナナシは私の名前を知ってたんだよ。』

 それは、声に出してしまうと此処に居られなくなるような気がして、私は心の中に最後の言葉をしまい込んだ。



 

 それからの私は、壁の向こうの世界に思いを馳せる事も無くなって、部屋に篭るようになった。
 そして、食事には必ず銀の食器を使うようになった。

裏日記2日目

 わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。

 しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。
 しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。

 わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。


 新約聖書「コリントの信徒への手紙一」

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Author:佐藤深雪
いつから改装中だと錯覚していた?

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アイコンは魔術商会さん(E№41)からいただきました。とても感謝なのです。

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